「映画作りは剣道の団体戦に似ている」映画監督・藤井道人さんインタビュー

2018年7月14日 • インタビュー, 文化人 • Views: 9794

AbemaTVで話題の「会社は学校じゃねぇんだよ」でも監督を務められている藤井監督。映画だけでなく、様々なジャンルで活躍の場を広げていらっしゃいます。そんな藤井監督は高校生まで年間360日間剣道をするくらい剣道に没頭していらっしゃいました。藤井監督が剣道から得たものはなんだったのか。お忙しい中貴重なお話を聞くことができました!

 

プロフィール
藤井道人(ふじい・みちひと)
1986年生まれ。東京都出身。
日本大学芸術学部映画学科脚本コース卒業。脚本家の青木研次に師事。伊坂幸太郎原作「オー!ファーザー」でデビュー。
以降、「幻肢」「7s/セブンス」などコンスタントに作品を発表する。その一方、湊かなえ原作ドラマ「望郷」や、ポケットモンスター、アメリカンエキスプレスなどの広告作品も手掛ける。
2017年にはNetflixオリジナル作品「野武士のグルメ」(主演:竹中直人など)、「100万円の女たち」(主演:RADWIMPSの野田洋次郎など)を発表。
公開待機作は真野恵里菜映画「青の帰り道」、山田孝之プロデュース映画「デイアンドナイト」。「新聞記者」は第43回日本アカデミー賞作品賞を含む3冠を達成。

芸能界での剣縁

ー渋谷の道場でも剣道をやっていらしたのですよね?
藤井「渋谷の道場には短い期間ですが所属していました。俳優の柄本佑(えもと・たすく)君とは、同じ道場だったんですよ。昨年、ドラマでお会いした時に『同じ道場だったの覚えてる?』という会話がありました(笑)」

 

ーそれはすごい会話です(笑)。 どんな反応でしたか?
藤井「『そうなんですか!』という感じで驚いていましたよ。

最近まで弟の柄本時生(えもと・ときお)君とは『会社は学校じゃねぇんだよ』というAbemaTVのドラマでご一緒していましたし、お父様の柄本明(えもと・あきら)さんとは伊坂幸太郎さん原作の『オー・ファーザー』でご一緒していました。ご縁がありますね」

 

ー面白いご縁ですね!
藤井「芸能関係で元剣道家とお会いすることはあります。当時の岡田将生(おかだ・まさき)さんの専属スタイリスト大石さん。

先日公開になった映画『武曲』のアシスタント・プロデューサーをされていた中村憲刀(なかむら・かずと)さんも高輪高校でインターハイに出場されたそうです」

 

剣道の経歴

ー芸能界でも剣道関係者はご活躍ですね!藤井さんの剣歴を教えていただけますか?
藤井
「自分の中ではなだらかに弱くなっていったという印象です。3歳から剣道を始め、小・中学校の頃は東京の修道館に在籍しており、小学5年生時には東京都で準優勝できました」

 

ー個人で東京都準優勝は、素晴らしい成績ですね!
藤井「団体戦では、ずっと先鋒やっていました。大将は同級生の中村一誠(なかむら・いっせい)君という、高輪高校でインターハイ優勝したメンバーがやっていました。
高校進学時には有難いことに特待のお話をたくさんいただいたのですが、強豪校はほとんど男子校でしたのでお断りさせていただきました(笑)。道場の先生が立正高校出身でしたので、ご縁と思い立正高校に進むことにしました」

 

ー思春期には、重要な問題ですね(笑)。
藤井「高校は1学年上の先輩が強かったですね。おかげで2年時に関東大会に出場することができました。都大会の最高位は秋の新人戦でベスト4。360日間は剣道しているような生活でした」

 

ー高校では関東大会に出場されたのですね。ほぼすべての年代で結果を残されていらっしゃいます! 剣道漬けの生活で、なぜ映画監督を志されたのでしょう?
藤井「高校生から映画を毎日観るようになりました。自宅から徒歩2分のところにTSUTAYAがあって、映画を観るには最高の環境でしたので」

 

ーいつ頃から映画監督を意識され始めたのですか?
藤井「高校3年生ぐらいから映画監督になることを意識し始めたと思います。父親がサラリーマンだったので『サラリーマンになるのは嫌だな』と漠然と思っていました。朝早く起きて満員電車に乗る生活が自分にはできないと思ったんです」

 

ー大学は、日大芸術学部に進学されました。
藤井「大学では映画サークルに入ってひたすら映画を作っていました。僕は本当に1つのことしか出来ない人間。18歳までは剣道だけをしてきました。19歳から31歳まで映画製作しかしていません。映画サークルの延長線上で今も仕事しているような感覚です。自分が設立したBABEL LABEL(バベル・レーベル)という会社は、大学の仲間を集めて作った会社です」

 

ー大学卒業後すぐ会社を設立するのは、すごい行動力ですね!
藤井「最初から会社経営がうまくいったわけではありません。今でこそ25人所属している会社ですが、当時はお金もなければ、人脈もなく、映画ばかり作っていたので経営のこともさっぱりわからない…。完全に迷走している時期もありました」

 

ー立ち上げ当初はご苦労もあったのですね。
藤井「会社経営ノウハウはゼロでした。そんな状態で会社を作ったんです。波瀾万丈もありましたが、今は同級生が社長業をやってくれてます。作品を作ることに集中出来ている状態です」

 

ーBABEL LABELはどんな会社なのですか?
藤井「映像製作全般を請け負っております。ディレクターズカンパニーとした出発したのですが、監督が6人もおりますので、今はCMプロダクションとしての仕事が多いですね」

 

27歳にして、商業映画の監督デビュー

画像の出所:BABEL LABEL(http://babel-pro.com/members/fujiimichihito/)

藤井「『オー・ファーザー』の公開時期は27歳の時ですね。当時はプロデューサーに付いて、脚本を書く仕事をしていました。23歳位の時に書いた『オー・ファーザー』の脚本を伊坂幸太郎さんに認められ、脚本家としてのデビューが決まりました。震災があったので、少し時間をおいてから映画を製作することになりました」

 

ー当初は脚本家としてデビュー予定だったのですね。
藤井「裏話ですが公開の半年前に監督が降りてしまい、急遽私に話が回ってきました。インディーズ映画はたくさん監督していたので、そういった仕事をプロデューサーに評価していただいたのだと思います」

 

ーチャンスが来ても対応できるような準備ができていたのですね。
藤井「26歳で商業映画の監督デビューできたのですが、個人的には反省するところが多かった。
スタッフが50人いる中で、私は下から3番目の年齢。カメラマンの方は50歳位の方で、大ベテラン。そういったベテランの方々をまとめる力は、26歳時点ではなかった」

 

ー年齢が倍以上違うベテランの方々をまとめるのは並大抵のことではないですよね…。
藤井「『オー・ファーザー』を監督してからは、意図的に商業映画から離れていました。インディーズ映画の監督を多くすることで実力をつけ、商業映画で納得のできる仕事をしたいと考えていました」

 

ー大きく飛躍するには、一旦しゃがむことも必要ですよね。今後はメジャー映画も監督されていく予定があるのでしょうか?
藤井「今年からは、またメジャーの仕事を増やしていきます」

 

ーインディーズ映画を多く撮られて、なにか気付きはありましたか?
藤井「自分が力を発揮できる環境にないと、スタッフを動かす力は発動しないということです。時間がない中で急に監督を頼まれたりするのですが、そういった作品は思い入れも持てないのでお断りしています。自分に信念があって、ゴールがあって、ビジョンがないと人を動かすことはできません。俺についてこいと自信を持って言えるように、準備することが大事だと思っています

 

ーそれは頼もしいですね!映画監督のディレクションスキルとは、具体的にどんなスキルが必要なんでしょうか?
藤井「どんな色のコップが必要か、そのコップにどれぐらい水を注ぐのか。そういったことを全て言語化できるスキルと言えます。
もちろん皆さん人間ですので、藤井組で良かったと思っていただけるように接することも大事です。そういったことが26歳の時点では分かっていなかった」

 

ーなるほど、勉強になります…。気持ちの部分は相当重要なのですね。
藤井映画作りは自分の感情を画に起こす作業です。思いや信念を表現することが重要。ベテラン監督ともなると、言語化せずともスタッフの方が空気を読んで働いてくれたりします。私はまだまだ監督としては若手ですので、自分がモゴモゴしていると『やっぱり若いやつはダメだな』という評価をされてしまいます(笑)」

 

ー具体的にはどのようなことをされましたか?
藤井「いろいろな仕事をやりました。CMであったり、ミュージックビデオであったり。映画以外の仕事でもスキルをつけていけたと思います」

 

映画制作の楽しいところ

藤井「映画作りは0から1を仲間と一緒に作っていく作業が楽しいと感じます。いろんな壁にぶち当たりますが、組織単位でシェアして乗り越えていき成長していく。剣道の団体戦と似ています。
育ってきた環境や考え方が全く違う人たちと悩みながら作品を作っていく過程は、大変ですが楽しいです。映画業界に入って本当に良かったなと思います」

 

ー過程が特にやりがいを感じられるのですね!映画を公開した後はどんな心境なのですか?
藤井「僕は人様に出した映画は基本見返しません。『あのシーンってどういう意図で撮っていたんですか』と聞かれても、覚えていないこともあります。その時の熱量で、その時の100点を目指している。振り返らないというか、常に前を向いています」

 

ー禅の境地ですね。“今このとき”にのみ集中されている。
藤井「意識的にしているわけではないのですが。僕は一つのことにしか集中できない性格なので、自然とそうなっています」

 

ーそれは、藤井監督の才能ですね。

 

剣道をやっていてよかったこと

藤井剣道をやっていなかったら、若くして監督を経験することはできなかったと思います。剣道をやっていたので、自然と人に敬意を持つことができます。3歳の時から人に礼をするということをルーティーンとしてやっていましたので、自然とそういったことができます。わざとらしい敬意ではなく、心から人に敬意持てるというのは剣道のおかげですね」

 

ー礼節という部分で恩恵があったのですね。他にはありますか?
藤井「忍耐力はつきましたね。辛いと思うハードルが高すぎて、何があっても辛いと思いません。かかり稽古に比べたら、なにも辛くですよ(笑)」

 

今後の目標

藤井「30代はアジアで勝負していきたい。その第一歩として、BABEL ASIA(バベル・アジア)という集団を新しく発足しました。この思いは、自分の祖父が台湾人というルーツも関係あるかもしれません。一時期、日本にとどまっている自分に疑問があった。今は、いろんな国の方とたくさん仕事をしてみたいと思っています。先日は台湾のアーティストのミュージックビデオを撮ってきましたよ」

 

ー今後活動の拠点は海外が中心になるのでしょうか?
藤井「海外でだけ活躍したいというわけではなく、海外で得た知見を日本の映画界に還元したい。是枝監督がカンヌ映画祭でパルムドールを受賞されましたが、日本の映画界にとってすごく刺激になると思います。
日本の文化を世界に伝えていけるような存在になれるといいなと思います」

 

ーそのためには、なにが必要でしょうか?
藤井「成功するには才能と努力が必要だと思います。才能だけでいうと、1940年代に必要とされた才能と2040年に必要とされる才能は違うと思う。僕は才能のせいにだけはしないように100%の努力をしてきたつもり。その上で成功するかしないかは神のみぞ知るです。
30代でBABEL ASIAをつくったので、40代ではBABEL EUROPE(バベル・ヨーロッパ)をつくりたい。アカデミー外国語映画賞を受賞できれば最高ですね。受賞したらアメリカから声がかかると思います。日本の監督がアメリカで成功していないのは求められていないから。求められるようになれば成功する可能性はある。なのでアメリカからお声がかかるような賞を受賞できるといいですね」

 

ー現代だと是枝監督がその地位に近いですが、以前ですと黒澤明監督が世界の映画界の尊敬を集めていましたよね。
藤井「そういった先輩方のように世界でも活躍し、日本の文化を発信していきたいです」

 

 

BUSHIZO上島の所感

ー藤井監督は私(上島)と同学年(1986年生)ということで、インタビューする前からとても楽しみでした。
若くして成功されている藤井監督ですが、偉ぶる様子は全くなく、監督としてスタッフに慕われていらっしゃるであろうことが容易に想像できました。

才能のせいにせず、100%の努力をするというお考えは大変勉強になりました。

藤井監督が今後ますます世界で飛躍されることを心から祈念いたします。本日はありがとうございました!

 

藤井監督の最新作

「新聞記者」

https://shimbunkisha.jp/

出演:松坂 桃李, シム・ウンギョン, 本田翼

 

第43回日本アカデミーで作品賞含む3冠を達成。

 

 

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