写真提供:一般社団法人ミス日本酒
プロフィール
タレント:田中沙百合
大学在学中からモデル・タレント活動を始め、長崎文化放送の朝の情報番組「はなきん」でレポーターデビュー。モデル、タレント業の他、バックダンサーとしてもマルチに活躍。北島三郎最後の舞台に出演経験も。
2013年には全国応募総数約2000人の中から第34期宝くじ「幸運の女神」に選ばれ、1年間で全国47都道府県を回る。2016年3月に京都ホテルオークラで開催された「2016ミス日本酒(Miss SAKE)最終選考会」に長崎代表として出場し、応募総数850人の中からグランプリを獲得。2017年12月現在、ミス日本酒として世界14カ国23都市を回っている。剣道歴は19年、現在剣道四段。
剣の道から芸の道がひらけた
—剣道はいつ始めたのですか?
田中さん「剣道は3歳からやっています。兄2人といとこも剣道をやっていたので、ものごころがついたときには竹刀を振っていました(笑)」
—それはかなり早いですね!
田中さん「長崎の大村市という町で育ったのですが、剣道が盛んな環境でした」
—剣道はいつまで続けられたのですか?
田中さん「大学までやっていました。気がついたら、兄2人よりも長く剣道を続けていましたね」
—芸能活動はいつから始めたのですか?
田中さん「大学2年生からです」
—芸能界に対して、憧れはあったのですか?
田中さん「なかったですね。私は子どもの頃から、CA(キャビン・アテンダント)になりたかったんです。というか、なるものだと思っていました(笑)。英語は必須だと思っていたので、子どもの頃から英語教室にも通っていました」
—どのような経緯で芸能界に入られたのでしょうか?
田中さん「剣道をきっかけに始まりました。大学1年生の頃、地元テレビ局が大学の剣道部を取材しに来てくれたんです。でもその日は最終限まで授業があり、遅れて行った私は撮影に参加できず見学をしていました。その時同期や先輩たちみんなが楽しそうで(笑)。撮影が終わってから、一緒に見学をしていた同期と共に、テレビ局の方の所へ行って『わたしたちも撮ってください』とお願いしました(笑)」
—自分から声をかけに言ったのですか?
田中さん「そうなんです(笑)同期とですね(笑)。そのとき偶然CMの一コマが空いているとのことで意外にもご快諾いただきました。その際に、『レポーターという仕事があるから、やってみない?』とお誘いいただき、長崎のテレビ局でレポーターを始めました」
—剣道をきっかけに芸能の道がひらけていくとは、驚きです!
田中さん「レポーターとして、いろいろな経験をさせていただいたり、いろいろな方にお会いするうちに楽しい仕事だなと感じ始めました。芸能界に身を置く決意を徐々に固めていきましたね。オーディションを受けて、北島三郎さんの舞台にバックダンサーとして出演することもできました!」
—ダンスもされるんですね!
田中さん「小学6年生からやっていたんです。当時モーニング娘が流行っていたので、習い始めました。私の地元、大村市は全日本少年少女剣道錬成大会に出場するメンバーを道場関係なく10名決めます。その選抜チームに選ばれたら、ダンスを始めていいと両親に言われていたので、必死に剣道を頑張りました。結果として選ばれて全国大会にも出場でき、ダンスを習うことになったのはいい思い出です」
ミス日本酒として
写真提供:一般社団法人ミス日本酒
—田中さんといえば、ミス日本酒として有名です。どういった経緯で応募されたのですか?
田中さん「宝くじ『幸運の女神』はご存じでしょうか?宝くじファンへの“幸運と夢の橋渡し役”として、各種イベントや抽選会に登場する役割です。長崎のテレビ局で、幸運の女神になられた方を取材したときに『わたしもやってみたい!』と思い、応募しました。念願叶って、2013年度の幸運の女神になることができました」
—「幸運の女神」がミス日本酒につながってくると。
田中さん「幸運の女神とは日本全国をまわるお仕事なんです。当時は長崎のテレビ局での仕事がメインでしたので、全国の観光名所・グルメ・地酒を勉強したら、ゲストの方々からお話を引き出すことができるのではないかと思ったのです。そこから地酒の勉強を始めることにしました」
—具体的には、どのように知識を深めていったのですか?
田中さん「地方でのイベントが終わると、1人で地元の居酒屋に行って勉強をしていました」
—ミス日本酒につながるとは思っていなかったのですね。
田中さん「まったく思っていませんでした。当時はミス日本酒を知りませんでしたし。幸運の女神として日本全国をまわることができたのですが、今度は世界をまわりたいと思っていました。その時に友人から『次はミス日本酒に挑戦してみたら?』と言われました。今は友人に感謝しています」
—ミス日本酒になれるという自信はあったのでしょうか?
田中さん「それはまったくなかったです。運良く、長崎代表となり最終候補16人までには入りました。そこからが、本当に大変でしたね。最終候補者を対象として、『ナデシコプログラム』というプログラムがありました。和髪・着つけ・華道・茶道・陶芸など一流の講師の方々から約3ヶ月間厳しくご指導いただきました」
—それは、選考の過程でもあったのでしょうか?
田中さん「『ナデシコプログラム』とは日本文化のアンバサダーとなるために徹底的に教育を受けるのですが、その受講態度や感想レポートも選考の対象となります。またグランプリに選んで頂いた日から、すぐ海外を飛び回るのですが、渡航先に必ずしもヘアメイクさんや着付師がいるわけではありません。『ナデシコプログラム』を通して、何でも自分で出来るよう恥ずかしくないための育てて頂いていたお陰で助かりました。今はミス日本酒になりたいだけじゃなくて、その『ナデシコプログラム』を受けたい女の子たちが全国にたくさんいるんですよ!」
—実際に海外に行かれて、どんなことを感じられますか?
田中さん「各国のジャパンフェスティバルに呼ばれていくのですが、どの国にいっても剣道の披露(切り返し・打ち込み・地稽古)があるんです。これには驚いています。剣道は、徐々にグローバルでも受け入れられつつあるのだなと思います。あらためて剣道はすごいなと思いますね」
現在のお仕事内容
—いまは、どういった内容のお仕事が多いのでしょうか?
田中さん「引き続きミス日本酒のお仕事、また司会・俳優・レポーターとしての仕事も始めています。
ミス日本酒とは、日本酒を通して日本の伝統文化を国内、そして海外にお伝えすることを目的として活動しています。国酒という面で、大使館のお仕事をすることも多い。わたしの任期中は伊勢志摩サミットがあり、貴重な経験になりましたね」
—どういうことを意識されて、ミス日本酒としての役割を果たしているのですか?
田中さん「日本酒の歴史をお伝えするということですね。日本酒の起源には諸説があり、稲作が定着した弥生時代、およそ2000年前が有力と言われています。その頃に神様への捧げ物として生まれたのが始まりだと言われています。そんな尊い飲み物を今こうして日常的に飲めることってすごいことですよね。また、国名がついていて主食(お米)を原料としているお酒(醸造酒)は世界中どこを探しても、わが国の『日本酒』以外ないんです。ワイン、ウイスキー、ウォッカなど国名がついていないですよね。日本酒のそういった素晴らしい文化を発信していくことが、使命だと思っています」
—日本酒って、もともと神様に捧げるものだったのですね!
田中さん「そう思うと、日本酒を飲めるだけでありがたいことですよね」
—剣道は、いつ頃から再開されたのでしょうか?
田中さん「ミス日本酒事務局の代表から、勧められたのです。『日本の文化である剣道をもう一度始めてみてはどうか』と言っていただきました。四段に挑戦することなど不安もあったのですが、ブランク8年を経て再開するに至りました」
—再開してよかったと思われますか?
田中さん「もちろん思います。始めた当初は身体が思うようについてこず、渋谷のスターバックスで泣きました(笑)。悔しかったのでしょうね。これで火がついて、どんどん剣道にのめり込んでいきましたね」
目配り、気配り、こころ配り
田中さん「剣道は現在の仕事に、本当に活きていると思います。基本的なことですが、礼儀正しいというのは大事ですよね。目配り、気配り、こころ配りという面は剣道で培うことができたのだと思います」
—目配り、気配り、こころ配りというのはいい言葉ですね。
田中さん「そうですね。長崎の恩師から『目配り、気配り、心配りが出来る人間になりなさい。そして笑顔美人を目指しなさい。』と昔から言われ続けてきました。これはどの仕事にも通じると思います」
—田中さんの人生は、点と点が線になってきていらっしゃるイメージです。
田中さん「小さいころからやっている英語・剣道はもちろん、幸運の女神の時に始めた地酒の勉強も活きています。意図的にそうしたわけではないのですが、結果としてそうなっていますね。両親や周りの方々に感謝です」
—「感謝」というキーワードが自然とでてきますよね。
田中さん「自分一人の力ではなく、みなさんに助けられていまの自分があると思っています」
—素晴らしいお考えですね。今後の活動について教えていただけますか?
田中さん「わたしは、剣道を含めた日本の文化を広めることが使命だと思っています。そういった意識をもちつつ、今後のタレント活動につなげていきたいと思います。
生き方の部分では、わたしが大事にしている『自分の気持ちをたいせつにする』ということがあります。自分の気持ちに正直に、たのしく仕事をして、『今の自分の生き方が好き』と思えるよう毎日活き活きと過ごしたいですね!」
—田中さんのようなマス・メディアでご活躍の方々が、剣道を発信してくださると、あたらしく始めるかたやリバ剣で再開するかたも増えてくるのではないでしょうか。田中さんの今後のご活躍を祈念しております!
ヘアメイク:西 美幸
インタビュー:BUSHIZO