あの夏へ還る【第3回】(著/岩井圭也)

2021年9月11日 • お役立ち記事, 剣道小説 • Views: 2127

十八年生きてきて、剣道以外で入賞した経験が一度だけある。

中学生の頃に、ホームルームでいきなり担任教師に名前を呼ばれた。高校で剣道漬けになってからはともかく、中学の頃はまだ学年中位の成績だった。吊るし上げられるような成績ではないし、品行も特に問題ないと思っていた。クラスメイトたちの不思議そうな視線に囲まれながら立ち上がった。

東京帰りの担任教師は、きどった標準語で宣言した。

「先日の鹿児島県中学絵画コンクールで、菊池の絵が金賞を獲りました」

すぐに「おおっ」というどよめきが上がり、誰からともなく拍手が湧き起こった。思わぬ出来事にどう反応していいかわからず、弛緩した顔を教師に向けて「どうも」と小声で言うしかなかった。

剣道で注目を浴びるのは慣れているが、それ以外のところではどちらかと言えば内気な性格だと思っている。教室にいても目立たないのは、授業中ひたすら眠っていることだけが原因ではないだろう。無口で体格のいい自分が、同級生から敬遠されがちだったことは自覚している。臆病な女子生徒など、話しかけるだけで目に怯えの色を浮かべた。

しかしコンクールに入賞してからは、同級生たちが徐々に興味を持ってくれるようになった。

人気者のサッカー部キャプテンからは「俺の似顔絵描えてくれ」と話しかけられた。描いてやると、同級生たちは口々に「似てる」「すごい」と誉めてくれた。太い腕が繊細な描写をするアンバランスさが面白いのか、男女を問わず、似顔絵を頼んでくる同級生が後を絶たなかった。

同じ中学校に通っていた妹も、兄の絵の腕前を友達に自慢していた。剣道の大会で優勝したことは触れまわらないが、絵画コンクール金賞の話は、会う知人全員に喋っているようだった。妹には「げんねえからやめろ」と言ったが、内心、妹が嬉々として言いふらす姿を喜んで見ていた。

喜んでくれなかったのは父だけだった。コンクールで入賞したことを伝えても、「そうか。よかったな」と言っただけで、それ以上は何も言わなかった。居間の壁に絵を飾ろうとする母には「そげなもん飾っても恥ずかしいだけじゃ」と言って、やめさせた。

この頃から、父への反抗心が芽生えたような気がする。

 

***

 

その後は、ホテルまで黙って歩いた。顕介はホテルの前で「コンビニ寄るから」と言い、返事も聞かずにどこかへ行ってしまった。フロントで鍵を受け取って、ひとりで部屋に戻った。

テレビをつけるとニュース番組が流れていた。それを見ながらネクタイをほどき、スラックスを折り目に沿ってハンガーに掛けた。出張には慣れている。学生時代から遠征は日常と言ってよかった。当時は出場する側だったのが、今は引率する側になっただけだ。

下着の上に備え付けの薄い浴衣を着た。鹿児島に比べれば楽かと思ったが、東京も妙に暑い。日差しは弱いが、嫌な汗が首筋に溜まる。

「暑いな」

それでも冷房はつけなかった。

冷房をつけると風邪をひく。父はそう言って、絶対にクーラーを買わなかった。昨年亡くなる間際も、エアコンのない部屋にひとりで暮らしていた。「夏はあっちんが当たい前や」とよく言っていた。

父は配管工で、ビルやマンションの空調配管工事に携わっていた。そのくせ本人は大の空調嫌いで、「クーラーの風は人工やから好かん」というのが口癖だった。職人肌で、休日に暇を持て余すと、「腕が鈍る」と言って庭でパイプをいじり回していた。

窓を開けてベッドに寝転んだが、吹き込んでくるのはビル街の生温い風だけだった。こんな風ならない方がいい。起き上がって窓を閉めた。浴衣がはだけるのも構わず、豪快に寝がえりをうった。

父は、息子が六歳で剣道をはじめた時、どう思っただろうか。裕福な家庭とは言い難かった。防具や竹刀を買い揃えることもできず、先輩のお古を譲ってもらった。防具の紐はいつもどこかが千切れていた。道場ではそのことをバカにされたが、それでも剣道が楽しくて仕方がなかった。毎日一生懸命竹刀を振っているうちに、いつの間にか道場で一番強くなっていた。それどころか市でも県でも、自分に勝てる選手はほとんどいなくなった。

高校にはスポーツ特待生として入学した。学費がかからないから、というのが理由だった。父は大喜びだった。この時「守、剣道頑張れ」と言われたのが、初めて父から励まされた瞬間だったかもしれない。高校の稽古は死んだ方がましだと思うほど辛かったが、この時の父の激励が最後まで支えてくれた。高校でも全国大会に出場したおかげで、大阪の大学に進学した時も学費は不要だった。

父が応援に来てくれたことが、一度だけあった。大学四年の時、全日本学生選手権の会場である東京武道館に、父は鹿児島からはるばるやってきた。「菊池守っちゅう選手はどこですか」と鹿児島なまりで尋ね歩きながら、苦労して居場所を探し当てたらしい。何も聞いていなかったが、同期部員から「菊池の父ちゃん、ここに来てるらしいぞ」といわれて驚いた。しばらくして現れた父に駆け寄ると、父はぼそりと言った。

「近所の人に、全国大会くれえ行けって言われた」

結果は三位だった。父は「まあまあやな」と言った。その一言が、とてつもない賛辞に聞こえた。

ずっと父に誉めて欲しかった。しかしもし誉められていれば、ここまで強くなれただろうか。父を振り向かせたいという気持ちがあったからこそ、今まで剣道を続けられたんじゃないか。ベッドの中で眠れない時間を持て余しながら、そんなことを考えた。

窓の外からクラクションの音に混じって若い男女の嬌声が聞こえた。東京と鹿児島では、街に溢れる音の種類も違っている。隣室の顕介はもうコンビニから帰ってきただろうか。それともまだ東京のどこかをうろついているのだろうか。

顕介は父によくなついていたが、葬式では泣かなかった。式は父が住んでいた志布志で執り行った。母の死をきっかけに、父は鹿児島市内から故郷である志布志に移り住んだ。高校に進学するまでは、自分もこの港町に住んでいた。通夜に参列した客は、親戚を除けば十人ほどしかいなかった。父の知人にも既に亡くなった人が多い。

斎場から車で帰る途中、家族を港に連れていった。息子、父、母、娘の順に防波堤に座り、夕焼けに光る海を眺めた。反抗期に差し掛かった子どもたちも、この日は素直だった。空はよく晴れ、間もなく空の端に日が落ちようとしていた。海も陸も橙色に照らされていた。

「父ちゃん」

防波堤の端に座る、制服姿の顕介から呼びかけられた。剣道以外の場所で呼びかけられたのはひどく久しぶりだった。

「父ちゃんは、祖父ちゃんが死んでも泣かなと?」

「泣かん」

顕介の眼には涙が溜まっていた。高校生にもなって、泣くんじゃね。そう言う代わりに、顕介の肩を叩いた。

「祖父ちゃんは、俺が泣かんようになるまで育ててくれたんや」

いつの間にか、東京のホテルの一室で眠りに落ちていた。

 

***

 

翌朝、七時に起床した。試合は午後三時開始だが、だからと言って遅くまで寝過ぎると気持ちが緩んでしまう。平日と同じ起床時間が、最も身体のリズムに合っている。

起きがけにベッドの上で軽いストレッチをした。体調は良い。バナナとミネラルウォーターの朝食をゆっくりと食べ、熱いシャワーを浴びて制服に着替えた。今頃父は食堂で朝食バイキングでも食べている頃だろうか。一流選手とは思えないほど自己管理が甘い。

ロビーで父と集合し、防具を担いで歩きだした。徒歩十分とは言え、真夏の公道を歩けばすぐ汗まみれになる。お互い口を利かずに、練習会場の体育館まで歩いた。

2 Responses to あの夏へ還る【第3回】(著/岩井圭也)

  1. 前田吉徳 より:

    大変、面白く拝読させていただきました。
    こちらは、文庫本や電子書籍にはならないのでしょうか?

    • bushizo より:

      コメントありがとうございます。岩井先生と相談してみます。引き続きどうぞよろしくお願いいたします。

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