あの夏へ還る【第2回】(著/岩井圭也)

2021年9月4日 • お役立ち記事, 剣道小説 • Views: 1782

初めて素振りをした日から、地元の道場に通いはじめた。当然、そこでは父が指導者を務めている。その頃まだ父は恐怖の対象だった。面を被れば足ががくがくになるまで掛かり稽古をさせられた。いたずらがばれれば屋外につまみだされ、素振り千本が終わるまで家に入ってはならないと言われた。稽古で少しでも手を抜けば、力任せの面打ちを食らわされる。父の面を食らうと目の前がちかちかして、思わず床に膝を着くこともあった。

初めて大会で優勝したのは小学六年生だった。県の道場対抗で、団体戦で大将を務めて優勝を飾った。小さな金メダルを父に見せたが、「おう」と言ったきり誉めるようなことは何も言わなかった。それがあの人なりの教育方法らしい。

中学生になっても、道場通いは当然のように続いた。中学校の剣道部は弱小だったので、主に道場で稽古した。何度か同級生の部員たちも道場に連れて行ったが、父がしごくせいで誰もが二度と行きたくないと言った。

「みんな初心者なんだよ。手加減してくれや」

そう責めると、父は心の底から困惑した表情で「優しくしてるつもりじゃ」と言った。

確かに、息子を相手にする時よりはよっぽど優しい。掛かり稽古は三分の一の時間で切り上げる。地稽古でも壁に追い詰めたり、体当たりで二メートルも吹き飛ばしたりはしない。それでも普通の中学生に耐えられる内容ではなかった。

「顕介の父ちゃんに殺されるとこじゃった」

同級生のひとりがこう吹聴したせいで、中学の剣道部員が道場に来ることはなくなった。

中学時代は団体戦では勝てなかったものの、個人戦では初めて全国大会に出場した。鹿児島県内では有名選手になったが、全国での結果は一回戦負けだった。その時の試合で打った面が入らなかったことが父はいまだに悔しいらしく、事あるごとに「あん時の面は絶対に入っとる」と主張する。

中学を卒業した後、薩陵高校以外の進学先は用意されていなかった。菊池監督の息子というレッテルは、学校生活では邪魔でしかなかった。同級生が腫れ物を触るように接してくるのには幾度も閉口した。ただし先輩が遠慮するので、剣道部では過ごしやすかった。

高校に入学するまでは、父のことだからさぞかし厳しく生徒に接しているのだろうと思っていた。持ちこんだ竹刀で居眠りしている生徒の脳天を叩くくらいのことはやりかねない、と本気で思っていた。しかし実際に授業を受けてみると、あっけないほど凡庸な教師だった。つまらなそうに教科書を読み上げ、太字で印刷されている単語を黒板に書き写す。

「ここ、注意すること。テストに出すぞ」

単調な呼びかけに応じる生徒はいない。高校一年で最初の授業を受けた感想は、つまらない、という一語につきる。ただし同じクラスの剣道部員だけは、目を大きく見開き、父の話に耳を傾けていた。

「寝たら稽古でどうなるかわからん」

その同級生は、よく怯えた表情でそう言っていた。その頃はまだ名字で呼んでいたが、やがて彼のことを信也、と呼ぶようになる。結局、信也は一年生を無事やり過ごしたものの、二年生の時につい居眠りしてしまう。信也はその日の稽古が終わった後、部室の床に這いつくばりながら「三回死んだ」という感想を残した。

薩陵高校での稽古は、中学までとは比べ物にならないほど過酷だった。同級生六人の中では最も優れた実績を持っていたが、弱かったはずの部員がめきめきと実力をつけていくのを目の当たりにして焦ることもあった。落ちつかせるには自分を鍛えるしかない。帰宅後も、黙々と素振りやトレーニングに打ちこんだ。

猛稽古の甲斐あってか、高校では更に一皮剥けた実感を得た。中学まではひたすら忙しなく打つことだけを考えていたが、高校ではおぼろげながら「攻め」を意識するようになった。

高校二年で県大会に優勝した時は、練習試合でも公式戦でも、面白いように勝つことができた。どう打っても一本になる。そんな感触があった。全国大会に行く前日、信也にこう漏らしたことを覚えている。

「もし二年生で優勝したら、何を目標にすりゃええんじゃろ」

こういう傲慢な台詞は自重しているつもりだったが、この時はつい口にしてしまった。それほど調子がよかった。

トーナメントでは四回戦まで勝ち進み、そこで当たったのが藤波幸太だった。福岡代表のスター選手だったが、当時は誰にも負ける気がしなかった。

結果は二本負け。試合時間は三分とかからなかった。その後も藤波は勝ち進み、結局三位に入賞した。その時、ようやく自分の思い上がりに気づき、以後、自信があると取られるような発言は慎んでいる。

 

出場者の多さで言えば、高校剣道の三大大会は、三月の選抜、七月の玉竜旗、そして八月の高校総体、通称インターハイになる。そしてこの中で個人戦があるのはインターハイだけだ。五月から六月にかけて全都道府県で開かれる予選会で、団体は優勝校、個人は上位二名が本戦に進出できる仕組みになっている。ただし、今年の主管である東京都からは団体二校、個人四名が出場できる。

今年の大会は四日間に渡って実施される。パンフレットでは、競技日程は以下のようになっていた。

 

一日目 開会式、公開演武

二日目 女子団体予選リーグ、男子個人一~四回戦

三日目 男子団体予選リーグ、女子個人一~四回戦

四日目 男子女子個人準々決勝~決勝、男子女子団体決勝トーナメント一回戦~決勝、閉会式

 

開会式の後、父とふたりで夕飯をとった。ホテルの外の店を選んだのは、ホテル内の定食屋では迂闊に剣道の話ができないせいだった。明日の対戦相手や他校の関係者も同じホテルに宿泊している。

店に入ってすぐにサバの味噌煮定食を注文した。父は散々迷った挙句、ミックスフライ定食を選んだ。試合前日の選手の前で揚げ物を食べる行為は、嫌味としか受け取れない。消化の悪い揚げ物は試合直前には食べたくても食べられないからだ。父はそのことを知っているはずなのに、注文の時にはすっかり忘れて自分の食べたいものを頼む。気遣いのできない親をもって恥ずかしい。

食事中はふたりとも黙っていた。丁寧にサバの小骨を選り分け、ティッシュの上に集めることに集中していた。一方、父は揚げ物から滴が垂れるほどウスターソースをかけて食べた。どうしてそんなに塩分をとるんだろう。皿の底に溜まったソースは、付け合わせのポテトサラダを黒く染めていた。

ホテルに帰ってからではきっと言いだせなくなるだろう。言うなら今だ。そう思い、父が食べ終えたのを見計らって切り出した。

「俺、決めたんだけど」

口の中の唾を飲み込んだ。実際にそれを口にするとなると、緊張せずにはいられない。父は怪訝そうな顔をしている。

「準々決勝までいったら、剣道やめる」

父はまず眉をぴくりと上げた。その後「ん?」と言い、今度は眉間に皺を作った。

「なに言うとる、お前」

「ベスト8まで残ったら剣道をやめさせっほし」

喉がからからに渇いていた。コップの冷水を飲み、咳払いをした。

「やめるって……」

「もう、決めたから」

「待てよ」

「嫌だ。ホテル帰るから」

立ち上がり、レジに歩いて行った。勝手にふたり分の会計を済ませようとすると、止められた。父が夕食の代金を支払っているうちに、店の外に出て歩きはじめた。

「おい顕介」

父が横に並んで話しかけてきた。

「いきなりどげんしたよ。剣道やめるなんち」

「別にいきなりじゃね。前から考げてたから」

「でも突然やめるって言うても」

「じゃっで、ベスト8まで進めばやめるって言うてる」

中途半端な言い分だということは、自分でもわかっていた。やめるわけでも続けるわけでもなく、ベスト8以上ならやめる。その条件は迷いの表れだということもわかっている。

「何か他にやりたいことでんあっとか」

父は並行しながら尋ねた。赤信号に立ち止まると、並んで止まる。

「絵を描きたい」

「絵って、あの絵か」

「あの絵だよ。絵画の絵」

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