あの夏へ還る【第13回】(著/岩井圭也)

2021年11月20日 • お役立ち記事, 剣道小説 • Views: 1146

三人目 石坂翔

 

ホテルの一室で、かれこれ四時間も取材に応じている。度重なるインタビューで疲れきっていた。こみあげるあくびを噛み殺し、五厘刈りの頭を撫でてみる。手のひらにざらざらした触感が伝わってきた。頭の中はぼんやりしている。

「石坂選手の今大会にかける意気込みをお聞かせください」

「最後の大会なので、いい形で終わりたいと思います」

「やはり藤波選手を最大のライバル、と認識していらっしゃるんでしょうか?」

「全員がライバルだと認識しています」

「試合に際して、心がけることは何ですか」

「正中線を攻めて勝つ、という意識で試合に臨んでいます」

いつもと同じ台詞を吐き出しながら、横目で緒方先生をちらりと見た。腕組みをしてこちらを凝視している。この人は集中力が切れないのだろうか。

若い男性インタビュアーは、頷きつつ熱心にメモを取っている。この大会中、何人目のインタビュアーだろうか。目の前の男がどこに所属している記者なのかすら、もう忘れていた。

「剣道界」か「剣道ジャーナル」か。全国紙の記者か地方紙の記者か。異様に熱心なところを見ると、素人記者なのかもしれない。ホームページに掲載するために談話を取らせてください、という申し込みも、快く引き受けていた。

「ありがとうございました。いい記事になりそうです」

記者が立ち上がると同時に椅子から立ち、丁寧にお辞儀をしてみせた。

「こちらこそ、ありがとうございました」

相手が部屋を退出した後で、椅子に勢いよく腰を下ろした。座って話すだけなのに、取材を受けるのはどうしてこんなに疲れるのだろう。

隣では緒方先生が自分の肩を揉みながら、誰かと電話で話している。ベスト8に進出しただけでこの取材攻勢なのだから、優勝した日にはこの数倍の取材が舞い込むだろう。そうなれば、流石の先生もいくつかは断ることになるはずだ。できるだけ多く断ってくれると助かるな、と思っていた。

 

取材を断らないのは緒方先生の方針だった。

「剣道はマイナー競技なんやから、自分からマスコミに売り込むくらいでええ。取材は断らんこと」

部員は普段の稽古でもそう教えられている。

今年還暦を迎える緒方先生は、三十年以上も指導者人生を送っている。その中で先生は剣道の地位向上に尽力してきた。剣道が世に認められるため、いろんな仕事をこなしたらしい。小さな大会で数え切れないほどボランティアの審判をこなし、講演会に呼ばれれば謝金以上の金額をかけて飛んでいったと聞く。若い頃にはテレビ局で芸能人相手に剣道の試合をしたこともあるらしい。

緒方先生と最初に出会ったのは、広島の小学生剣道大会だった。はるばる大阪からやってきて審判長を務めた先生は、開会式でちょっとした講演をした。剣道普及に関する内容で、最後は「いつか世界中に剣道を広めたいと思います」というお決まりの言葉で締めくくられたことを覚えている。先生は「質問のある人はいますか」と問いかけた。すぐに手を挙げた。

「どうして、緒方先生はそんなに頑張って剣道を普及しているんですか?」

先生は子どもの質問に笑うでも怒るでもなく、真剣な顔で答えた。

「剣道に恩返しをするためです」

先生は眼を見て、関西なまりではっきりと話した。

「私には、剣道しかできることがありません。それでも教師や指導者として生活し、皆さんから先生と呼んでもらうこともできる。これはひとえに剣道のお陰なんですね。だから私は剣道への恩返しのつもりで、普及させてもらってます」

剣道について語る緒方先生の目は輝いていた。この人は剣道が好きなんだな、と直感でわかった。この人と一緒に剣道をしたら楽しいかもしれない。その程度の感想しか持っていなかったと思う。

詳細は忘れたが、その大会では個人優勝をした。何度目かの優勝かは覚えていない。ただ、閉会式以後のことはよく記憶している。

閉会式では緒方先生から金メダルを首にかけてもらった。

「これからも頑張ってください」

閉会式が終わってから、改めて先生に声をかけられた。

「石坂くん、君は強いね。特に面がいい。自分より大きい相手でも、簡単に面を決めることができるしね」

「ありがとうございます」

「中学校はどこに行くの?」

「まだ決めてません」

緒方先生は微笑みながら、「そうか、まだ早いのかな」といった。

「六年生じゃないもんな。五年生?」

「三年生です。八歳です」

そう答えた時の、先生の唖然とした表情は忘れられない。

幼い頃から「しっかりした子どもだ」と言われることは多かった。身長が伸びるのも早かったし、勘違いしたのも無理はない。

「ということは……石坂くんが中学生になるのは四年後か」

その口調から、先生の穏やかな人柄が伺えた。

「石坂くんは私と一緒に剣道をやりたいかい?」

「はい」と答えると、先生は「じゃあ、またしばらくしたら来るよ」と言った。

 

五年生になった頃には、既に妙法学園に進学することを決めていた。妙法学園は中高一貫校であり、緒方先生が剣道部の監督を務める。緒方先生と一緒に剣道をすることは、もはや宿命としか思えなかった。

当時、将来の夢というテーマで作文を書いた。母親は事あるごとにそれを引っ張り出してくる。

 

ぼくは一生けんめい、けい古をがんばって、中学ではおがた先生の学校で剣道をして、高校でも先生に剣道をおしえてもらって、全国ゆうしょうをする。高校をそつぎょうしたらけいさつに入って、きどうたいになり、日本一になる。

 

「日本一になりたい、じゃなくて日本一になる、って書いてあったから、ああこの子は本気なんだなと思ったんだよ。よく覚えてるもん」

母親のその話はもう何度も聞いた。

客観的に見て、そう考えてもおかしくないほど活躍していたのも事実だった。五年生で個人全国三位。六年生では大将を務めた団体で全国優勝。体育館の外で胴上げをして当時の監督に怒られたのも、いい思い出となっている。

両親はいずれも剣道経験がなく、剣道は小学校に上がった時に何気なくはじめさせただけだという。

「すぐにやめなければいいな、とは思ってたけど、まさか全国優勝するとはな」

こう言っていたのは父親だった。

両親は揃って妙法学園進学に反対した。広島にも剣道の強豪校はある。「親元を離れるなら、せめて高校から」というのがふたりの希望だった。

小学六年生の夏、母親からいきなり「来週、妙法学園の緒方先生がくるから」と告げられた。

「ほんとに? なんで?」

「あんたの勧誘でしょ。これでもう何件目だか」

翌週、緒方先生と三年ぶりに再会した。先生は五十代半ばにも関わらず、半袖シャツの上からでも筋肉の盛り上がりが見て取れた。両親と先生と四人で、自宅のダイニングで話しあった。

先生は俺を入学させるよう、両親を説得しはじめた。当の本人は口を挟める空気ではなく、ただ三人の横顔を見ていた。

「翔くんは剣道界の宝になります。こんなに才能がある子と出会ったんは初めてです。私に翔くんを指導させてください」

緒方先生は今にもダイニングの床で土下座しそうな勢いだった。父は腕組みをしている。母は無表情で手元を眺めていた。「正直に言わせてもらうとね」と父は切り出した。

「この子が五年生の時から、口説き文句は飽きるほど聞いてるんですよ。翔をうちに欲しいって言ってくださることはありがたいことですけどね。県外から来たのも緒方先生が初めてじゃありません。でも自宅から通えない距離にある学校には進ませるつもりはないですから。翔は公立の中学校に通わせる予定です」

「もちろん不安はあると思います。うちの学校ではちゃんと帰省もさせます。無理な練習は絶対にさせません。お約束します。寮には他にも遠くから来ている生徒がたくさんいますし、集団生活を学ぶこともできます」

「翔は来年やっと中学一年生ですよ。そちらの学校に入るってことは、六年間寮生活を送るわけでしょう。私たちとしても不安なんですよ」

「お気持ちはわかります。しかし」

緒方先生がごくり、と唾を飲み込んだのがわかった。

「失礼ですが、私がお見受けする限り、翔くんは傲慢が過ぎます」

両親の表情が強張るのも構わず、緒方先生は続けた。

「私なら、翔くんの鼻っ柱を折って正しい道に進ませてやることができます。私以外に、石坂翔を指導できる人間はいません」

父は母と顔を見合わせた後、「翔」と呼びかけた。

「お前は妙法学園に行きたいのか」

「うん」

「この先生じゃなきゃダメなのか」

「緒方先生に教えてもらいたい」

両親はしばらく小声で何か話しあった後、「翔は少し自分の部屋に戻ってなさい」と言い渡した。それから一時間ほど三人で話しあった後、緒方先生は帰っていった。入れ替わりに呼ばれて部屋に入ると、母が泣いていた。

「本当に行きたいんだな」

「行きたい」

「途中でやっぱりやめた、はなしだぞ。六年間寮生活だぞ」

「わかってる」

翌月、父親が妙法学園に電話をかけた。通話中、横で母と一緒に待機していた。

「緒方先生に、翔をお預けします」

この一言は鮮明に覚えている。母親に頭を撫でられながら、緒方先生の学校で剣道ができる喜びを噛み締めていた。対照的に、母親はまた泣きそうになっていた。

高校生になってから、どうして妙法学園に進むのを許したのかと父親に尋ねた。

「翔の人間性にまで踏み込んだのは緒方先生だけだったから」

夕食の後、母親のいない席でのことだった。

「他の先生はみんな、翔のことを剣道をする機械としてしか見てなかった。そんな指導者のところに預けるくらいなら、遠くても人間として育ててくれる人の方がいいと思ったんだよ。お母さんは反対してたけどな」

かつて緒方先生が頭を下げたダイニングで、父は微笑した。

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