あの夏へ還る【第4回】(著/岩井圭也)

2021年8月29日 • お役立ち記事, 剣道小説 • Views: 1142

館内は既に練習中の選手で溢れていた。今日の個人戦に出場する選手だけでなく、明日の団体戦出場者も練習しているせいだ。練習専用の体育館が設けられているとは言え、あまりに人が多い。廊下で服を脱ぎ、道着を着た。袴をはいて帯を締めると、自分の顔つきが剣道選手のものになるのがわかった。父も道着を身につけると、人が変わったように鋭い目つきになる。いまだに、剣道をしている時は父を畏怖する気持ちがある。入念にストレッチと素振りをした後、会場の隅にふたり並んで正座をした。

最初に垂れを身につける。垂れの前面には名字と学校名が記された名札、通称垂れネームが被せられている。垂れの帯を腰の後ろで結んだ後、胴紐を結ぶ。三か所の結び目で胴を固定した後は、手拭いを頭に巻く。その上に面を被り、面紐を前方の面金に通した後、頭の後ろで引き結ぶ。面の具合を確かめてから両手に小手をはめ、竹刀をもって立ち上がった。

体育館はどこも人で埋まっていたが、通りかかった所でちょうど団体が帰っていった。前を歩く父の肩を叩き、空いた場所を示した。声は出さない。掛け声と竹刀のぶつかる音が響き渡る館内では、よほど大きな声でなければ相手に聞こえない。

父を元立ちにして、最初に切り返しを二セット行った。切り返しは、相手の左右の面を打つ基本稽古のひとつだ。その後は面打ちや小手打ちなどの基本練習、相面や出小手などの応じ技の練習をして、短時間の掛かり稽古に移った。掛かり稽古では、掛かり手が受け手に向かって休みなく打ち込み続ける。いつもの稽古なら立てなくなるまでやらされることもあったが、試合の前にばてては話にならない。試合直前はいつも短時間で切り上げる。

最後の打突をしようと振り返った瞬間、何かが左足に激突した。思わず足を掛けられる格好でよろめき、そのまま右側に倒れた。右手が身体の下敷きになるかもしれないと思い、咄嗟に左手をついた。無意識の反応だった。急な反応に左腕が痺れたが、右手は何とか守ることができた。

「すいません。大丈夫ですか?」

防具を着けた男が、のぞきこむように声をかけてきた。垂れには「湊」と名前が記されている。知らない名前だった。

湊は気遣わしげな顔つきだったが、一方でしきりに自分の膝を撫でていた。どうやらさっき倒れたのは、振り向く瞬間に湊の膝と自分の左足が激突したせいらしい。すぐに立ち上がり、大した怪我ではないことを湊にアピールしてみせた。

「大丈夫です。すいません、不注意で」

「いや、こちらこそ」

竹刀の打突音が響き渡る体育館で、湊と互いに頭を下げた。何度か低頭した後に振り向くと、父はぶつかった俺の左足を気にしているようだった。

「大丈夫か?」

「はい。動けます」

監督として父に接する時には、敬語を使うことにしている。

「もっと広けりゃのう」

父は面の下でぶつくさ言っていた。

最後に切り返しを一セットこなして、試合前の練習を終えた。

 

***

 

アップを終えた後はスーツに着替えて隣接する試合会場へ移動した。顕介は道着袴のままだ。会場では朝から女子団体の予選リーグが行われており、建物の外からでも少女たちの気合いと竹刀の打突音が聞こえた。

あと一時間もすれば、男子個人一回戦がはじまる。顕介を見やると、廊下のベンチでゼリー飲料を吸っていた。十八歳の男はもう子どもの顔つきではない。顕介の横顔は、何かを賭けて戦う顔だった。

もう息子にとっては、剣道よりも絵画の方が大事なのだろう。そう確信していた。

先ほどの練習で倒れこんだ時、顕介は左手で右手を庇った。あまりに素早い動きだったから、本人も無意識のうちに動いていたのだろう。

左手は竹刀を振る手だと、顕介が小さい頃から口うるさく教えてきた。竹刀を振るのは左手小指で、残りの指は竹刀の上から被せるだけ。だから剣道家にとって、左手は生命線なのだ。その左手で、顕介は右手を庇った。彼にとって利き腕である右手がどんな意味を持つか、すぐにわかった。剣道をする手ではなく、絵を描く手を選んだのだ。それも無意識のうちに。

 

東京で過ごした学生時代、必死で標準語を覚えた。鹿児島弁を話しただけで女の子に笑われるのが嫌だった。九州出身の剣道部員を集めて発音を訂正しあった甲斐あってか、教員として鹿児島に戻った時は、父から「標準語んなっちゅう」と言われた。その一言には、東京に対する敵視も込められていた。

顕介の世代は、元からあまり鹿児島弁を喋らない。しかも剣道部員はしょっちゅう全国各地へ遠征するせいで、標準語を耳にする機会も多かった。鹿児島弁を聞くことはできても、話す言葉は自然と標準語に近くなっている。自分は必死で標準語を練習したくせに、そのことがほんの少しだけ苛立たしかった。

試合開始時間が近づいている。顕介はひとり正座して、じっと女子団体戦を見ていた。進行が遅れたせいで、他のコートでは男子個人がはじまっているというのに、そのコートだけはまだ女子の試合をやっていた。試合前になれば、監督が選手にしてやれることはない。もちろん父としても。

コートのそばには畳が敷かれていた。そこは監督が待機するための場所になる。畳の上に正座をし、昨夜の顕介の発言を反芻していた。

「ベスト8まで勝ったら剣道をやめさせっほし」

息子はなぜあんな中途半端な要求をしたのだろう。やめたいのならやめさせて欲しいと言えばいいのに。きっぱりと「この大会が終わったら剣道をやめる」と言ってくれれば、気持ちよく了承できたのに……そこまで考えてから、ふと思った。

そう言われた時、本当に了承できるだろうか?

もし昨日いきなり「剣道をやめる」と言われれば、即座に反対していたかもしれない。顕介が剣道をやめようとしていたことなど微塵も知らなかったのだ。突然やめると言われて、慌てない訳がない。

あの中途半端な申し出は、即座に反対させないための策だったのではないか。やめたい、と言えば反対される。ならば昨年以上の成績を残す、という条件をつければ、父も渋々了解するだろう。顕介はそう考えたのかもしれない。

顕介のことは自分が一番よくわかっていると思っていた。自分にとって顕介は選手であり、生徒であり、息子である。そんな立場だけを見て、顕介のことを理解していると思いこんでいた。だが実際には、全然わかっていないらしい。

高校生の頃、監督や教師や父には自分のことは理解できないと思っていた。しかしそちら側の立場に立つと、そんなことはすっかり忘れてしまっていた。

「ダメだなあ」

思わずそう呟いた。

 

***

 

初戦は秋田代表の木山という選手だった。練習試合か何かで竹刀を交わしたことがあるかもしれないが、記憶に残っていない。身長は一七五センチの俺と同じくらいで、肩幅が広く、がっしりした体躯も似ている気がした。

主審の合図と同時に、木山は面に跳んできた。掛け声は鳥の鳴き声のように高い。打突スピードは速いが踏み込みが浅いから、半歩下がるだけで簡単に避けることができた。木山の打ち気は逸りすぎている。相手の打突にすかさず面を合わせたが、これは距離が近すぎた。

開始から二分間、ほとんど自分からは打つ必要がなかった。経験上、初戦をいい形で勝つことができればその後も調子よく連勝できることが多い。慎重に勝ちをとりにいきたかった。

木山が面を意識させようとしていることには、すぐ気づいた。しかししばらくは敢えてそれに気付かぬふりをして、慎重に面を捌いた。

コートの端に追い詰められた時だった。木山はぐっと距離を詰め、剣先を微かに上げる。それに応じて、面を防ごうと小手を上げた。

打って来い。

読み通り、木山はここぞとばかりに剣先を返して小手を放った。面を見せての小手。木山の小手打ちをかわすため、竹刀を振りかぶった。小手を打ちすえるはずだった相手の竹刀は音を立てて空を切る。後はがら空きになった木山の面に、真っすぐ竹刀を振り下ろすだけだった。

三人の審判の旗が、一斉に上がった。

「面あり」

手本のような小手抜き面だった。その後は、木山が誘えば剣先を抑えて機先を制し、こちらから無理な打突はしなかった。四分が過ぎて主審が「やめ」をかけた。結局、試合終了までその一本を守り抜いた。

九歩の間合いに戻って礼をした後でひとつ息を吐いた。まずは理想的な勝ち方で終えた。次の相手が誰になるか、監督に確認しようと振り向いた。

「愛媛の選手や」

尋ねる前に、父はそう言った。ふたりで並んで試合場を退出した後、渡されたパンフレットに目を落とす。次の相手である野村は知っている選手だ。確か背の高い上段の選手だった。

廊下のベンチに腰を落として、拳を握り、開いた。木山に放った小手抜き面の感触がまだ残っている。

いける、と確信した。

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