東京・池袋の一等地に店舗を構える「剣道居酒屋・残心」。
稽古、試合後にお世話になった方も多いのではないでしょうか。今回は、居酒屋残心の構想・設立・運営に携わった株式会社アールエフテクニカの宮原氏にお話を伺いました。
「剣道家のコミュニティをつくりたい」というお話はBUSHIZOが構想していたことでもあったので、ますます残心のファンになってしまいました!
プロフィール
宮原 禎(みやはら・ただし)
昭和49年東京生まれ。正則高校から日本体育大学に進学。卒業後、USENに就職。建設関連の人材派遣会社で経て、平成16年にアールエフテクニカを創業。
居酒屋残心の構想、設立に携わる。現在は経営陣の一人。剣道錬士六段。
宮原さんのご経歴
—ご経歴を教えていただけますか?
宮原「国鉄の剣道部を立ちあげた父の影響で、私も小学校1年生から剣道を始めました」
お父様もすごい方だったのですね!剣道を始めたきっかけはなんですか?
宮原「最初は、罠にはめられて剣道を始めたようなものです。私を道場に連れていくのですが『剣道やっていない人は入っちゃダメ』と言うんですね。外にいても暇なので『剣道をやりたい』と自分から言うしかありませんでした」
—巧妙な手口ですね笑
宮原「『自分が言ったんだから、絶対やめるなよ!』と父に言われて、剣道を始めました。小学校低学年までは剣道をやめたくて仕方がなかったです。高学年になってだんだんと試合で勝てるようになって、剣道が楽しくなってきました」
—剣道がお好きなイメージがあるので、意外です。
宮原「中学校に入学したのですが、部員数が少なすぎて私が中学校2年生のときに廃部になってしまいました。それからは、地元の道場で稽古していました」
—不運でしたね。高校はどちらに進学されたのですか?
宮原「東京の正則高校に進学しました。自由な校風ながら、剣道にも力をいれている学校でしたね。真面目に剣道に取組み始めたのは、高校1年生からです。当時、国士舘高校が東京都のインターハイ予選を制したのですが、優勝されたメンバーが皆さん泣いておられました。
そこで『自分だったら、ここまで剣道に懸けることができるのか』と自問してみたのです。そこから剣道に身が入り始めました」
—他校の剣道に対する姿勢が刺激になったのですね。大学は、日本体育大学に進学されました。
宮原「高校時代の戦績は団体・個人ともに東京都でベスト16でした。大学は剣道を本格的にやりたいと考えていたので、強豪の日本体育大学に進学しました。
入学してすぐに、「俺がレギュラーになることは無理」と簡単に諦めがついてしまうほどに、周りのメンバーは剣道が強かったですね笑」
—それは、ある意味仕方ないですね笑。新卒入社から建築関連の企業だったのでしょうか?
宮原「新卒で現在のUSENに入社しました。『日体大出身でメンタルが強そう』と言う理由で、独立遊撃部隊のような部署に配属されてしまいました。
営業成績が悪かった地域に毎月出張するような部署だったので、その時期は年に3回程度しか剣道をやれていませんでした。
その後、建築関連の人材派遣会社に勤務したのちに起業しました。20代は剣道に打ち込める時間がなかったですね」
起業された理由
画像の出所:アールエフテクニカHP(http://rftecnica.com/)
宮原「有線放送で勤務したあと、建築関連の人材派遣会社の営業になりました。当時は建築のことなど分からなかったのですが、現場監督の先輩から優しくご指導をいただきました」
—起業した理由を教えていただけますか。
宮原「私が起業した理由は、『現場監督の方々の雇用を守りたい』という一心でした。
当時の状況では、現場監督の方々はリストラの憂き目に合うケースが多かったのです。仕事を教えてくれた先輩に、私から退職勧告をしたこともありました。
それが、とても辛かった。それなら、“私が仕事をとってきて、現場監督の方々の雇用を守ろう”と決意したのです」
—宮原さんの男気を感じます。
宮原「私が経営者である理由は、“社員が働けるまで、働ける場所を提供したい”というだけですね。みなさん定年退職の歳になられてもお元気ですから。
彼らにやっていただく仕事は、建築以外でもいいのです。居酒屋残心をつくったのは、そういった意味合いもあるんですよ」
“リバ剣”として、剣道を再開
※株式会社残心主催の残心杯にて
宮原「息子が剣道を始めるタイミングで私も剣道を再開したのですが、ひさしぶりにやってみたらハマってしまいました。当時34歳くらいだったと思います。
大人になると自分のペースで剣道ができますし、きつい上下関係もない。剣道経験者の社員もいたので、会社で剣道部をつくってみることにしました」
—いわゆる“リバイバル剣道”、略して“リバ剣”ですね。アールエフテクニカ剣道部の活動目的を教えてください。
宮原「やはり、会社のPRですね。まずは弊社の名前を剣道関係者の方々に知っていただきたかった。大会で活躍するようになれば、弊社に注目していただける機会も増えると考えました。
その頃から私たちの目標は、“建設業大会で活躍すること”でした。やはり、仕事に繋がったほうがいいです」
—先日は建設業大会で見事、優勝をされました。
宮原「ありがたいことに、初めて優勝することができました。建設業大会で弊社を知っていただいて、そこからお仕事に繋がったこともあります。交剣知愛ですね」
—実際にお仕事にも繋がっているのですね。採用にも効果的でしょうか?
宮原「採用にも大きく寄与しています。剣道部の活動を通して思うのは、仕事以外で社員と繋がれるというのは本当に幸せだなということです。絆が深まっていきます。
とはいえ、剣道部の社員をひいき目で人事評価することはありません。むしろ、より厳しく評価しているつもりです」
—ひいき目で人事考課していると思われることがあったのですか?
宮原「“剣道部の人間ばかりが出世している”と穿った見方をする者もいました。
しかし、剣道で鍛えた精神力からか、剣道部の人間は会社でも活躍してくれていますよ。頼もしい限りですね。
仕事内容で評価するというのは、当たり前の話ですので」
居酒屋残心を立ち上げた理由
宮原「二つあります。第一の目的としては、剣道家大歓迎の居酒屋をつくりたいということです。防具を持って、居酒屋に防具をもっていくと嫌がられるんですよね。それが、すごく窮屈だなと思っていました」
—それは、よくわかります笑
宮原「二つ目は『剣道家のコミュニティをつくりたい』と思ったんです。
例えば、車を買いたいと思ったら、車を売っている剣道家に繋ぎたい。保険を契約しようと思ったら、保険屋の剣道家に繋ぎたい。そんな世界をつくりたいと思ったんですね。
やはり、お互い剣道をやっているというのは安心します。コミュニティの中で仕事が回っていったほうが、ある程度信頼できる関係からスタートするので効率がいいと思うんです」
—すごく共感します。
※株式会社残心主催の残心杯。経営陣が大会運営にあたる。「交剣知愛」が運営理念。
残心を日本文化発信のプラットフォームにしたい
※リニューアルされた居酒屋残心。舞台も設置された。
—居酒屋・残心のリニューアル、おめでとうございます!
宮原「ありがとうございます。やっと、やりたいことが現実化してきました。
残心が日本文化発信のプラットフォームになって、剣道関係者の方々に活用していってもらえると嬉しいです。
例えば、新卒の学生向けに“剣道部就活フェア”を残心でやりたいと考えており、すでに準備段階に入っております。
剣道経験者は礼儀作法など、基本的なことができています。剣道家は人材としても魅力的ですね。他の企業もそういった印象を持っているのではないでしょうか」
—剣道就活、私が学生だったら参加していたと思います笑
宮原「外国人観光客の方々向けに、剣道を含めた日本文化を発信する。そういった役割も残心に持たせたいと考えております」
—株式会社残心は、剣道に限らず日本文化を発信していく貴重な存在です。
武道の根幹である「残心」を大切にしながら、日本文化普及発展の旗手になっていただきたいと思います。
BUSHIZOは、これからも株式会社残心を応援していきます。
本日は、ありがとうございました。
和風スポーツバー残心